2016年03月05日
良い素材を使い美味

私は料理が好きだ。作るのも食べるのも見るのも好きだ。料理に関する本や番組であれば、はてしなく見ることが出来るだろう。料理雑誌をパラパラとめくっていると、近年では料理に国境がなくなりつつあるのを感じる天然貓糧牌子。日本でも「アメリカ的」なレストランが増えているように、こちらでも和素材を使った料理や、それを出すレストランが増えている。しかし、同じ名前を持つ料理でも土地が変わると、やはりその土地の文化の色が現れ、アメリカの和食は和食になり切れず、そして日本のアメリカ食はアメリカ食になり切れていないように思うのだ。
日本人はとても真面目で律儀できちんとしていて、、、そう、だから料理も「きちんと」してしまう。人気のあるレストランがアメリカ料理を出していても、
良い素材を使い美味しそうで、とてつもなく綺麗なのに、なぜか「アメリカ」を感じない。あと一歩のダイナミックさ、少し崩れるような盛り付け方、全てが均一でない様子はやはりアメリカ人にしか出来ないのかもしれない。雑であることが完全な形なのだ。昔ながらの、ママが作ってくれたような薄切り食パンに卵サンドは別の話だが、簡単なサンドウィッチにしても、アメリカンなサンドウィッチはやはりアメリカのものの方が美味しそうに見え、日本ではサンドウィッチは食べたいと思わなくなってしまった。
同じようにアメリカの和食は日本人シェフが作らない限りは、全く日本的ではない。定評のある料理雑誌が和素材を取り上げることが多くなった今日で、そのレシピを写真と共に紹介していても、どれも「これは日本人が作ったのではない」とすぐに分かるのは、ここ一歩というところで「きちんとさ」に欠けているからだろう。それに絶対にありえない食の組み合わせもある。それが目からうろこで商務中心、は!と思わせてくれることもあるが、でもやはり、その斬新な和食は「和食」では無いのだ。
アメリカに長く住むようになり、日本の文化から遠のいている私自身の中身が、どっちつかずだなと思うことも最近良くあるのだが、その自身同様に、料理もいわばどっちつかずかもしれない。だから他の人が作ったもののことはとやかく言えないのは分かっている。でもそのどっちつかずの中でも、アメリカで生活し良かったと思うのは、アメリカ的な料理の盛り付けや素材の使い方を少しでも肌で学べ「きちんとしていない」ことも魅力なんだと学べたことだろう。
Posted by 万に一つ at
12:56
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