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万に一つ

2016年03月21日

直前に行った旅行



天国に旅立つ日が分かっていたなら、人はもっと上手に生きることが出来るのかもしれない。哲が倒れ天国に行きかけたことは私の中から拭い忘れることが出来ない出来事だから何度となく書いてしまうのだが、あの時、ERで哲を励ましながら、哲と一緒にし残したこと、これからしたかったことを思ったのを覚えている美麗華旅遊糾紛。○月○日に倒れますよ、、と神様が教えてくれていたなら、一分一秒だって無駄にはしなかったのかもしれない。でへらへら笑っている自分を見ると、何とも言えない気持ちになり、景色が綺麗でもその旅行の写真を見るのは辛く、複雑な気分になる。哲が倒れた時には「無事に戻って来るか」分からなかったから、朝一に病院に出かけ、夕方まで哲を看病し、1人家に戻って来た時に感じた寂しさは例えようのないものだった。夜は電気を付けたまま寝た日々だった。

3月に哲が帰国することになった。日にちもしっかり決まっている美麗華旅遊糾紛。神様は今回は○月○日に哲は遠くへ行きますよ、と教えてくれた。私も一緒に帰国出来たら良かったのだが、犬を世話してくれる場所を見つけることが出来ず、いや、場所はたくさんあるのだが、納得できる場所が見つからず、私は残ることに決めたのだ。哲が帰国を決めたのは昨年の夏だっただろうか。あれから3月というずっと先の月の来るのを私はカウントダウンし始めた。ワクワクが伴うカウントダウンでは無く、不安を伴うカウントダウンだ。でもカウントダウンしながら私は一日も無駄にしないように心がけた。簡単なものでもご飯は丁寧に作った。毎日に感謝した美麗華旅遊糾紛。秋が来て、年を越し、冬が終わりかけてきた2月になると、いよいよだ、、とずっと先の月だった3月が、もう次の月になっていることに驚き、そして不安がさらに募った。  


Posted by 万に一つ at 16:57Comments(0)

2016年03月15日

夜中に、腹が痛くて目が覚めた



この痛みは夢の中からずっと続いていたようだ。奇妙な夢ばかり見ていた。体がよじれるような夢の中から、いきなり暗闇に放り出されたみたいだった。

もともと胃腸はあまり丈夫ではなく、しくしく痛みがしみるような腹痛は、甘いものや辛いものを食べすぎたあとなどによく起きることなので、時間がたてばおさまると思っている能量水 功效
しかし今回は、いつもの腹痛とちがって就寝中に起きた。みぞおちを突き上げてくるような鈍痛が、襲ってきたり治まったりする。このような痛みも珍しいものだったので、すこし不安になった鑽石能量水 消委會
痛みがしばらく治まっていると、いつのまにか眠りに入っている。そしてまた、夢の中でしばらく悪夢と格闘しているが、ふたたび鈍器で夢の壁を破かれて、夢の外へ放り出される。

そのうち治まるだろうと思いながら、悪夢は朝まで続いた。
軽い頭痛もするので、とりあえずルル3錠の風邪薬と甘くて苦い漢方胃腸薬を服用した。流行りの風邪と昨夜食べた鯖の食あたりを疑ってみたのだった鑽石能量水 騙局
痛みは治まったが睡眠不足で頭が朦朧とするので、一日中寝床に入っていた。午後になると、日頃の疲れまで洗い流されたみたいにすっきりした。
こんなに昼も夜も寝ていたのは久しぶりだ。

すこし頭が澄んできたら、子どもの頃、夜中に腹痛を起こした時のことを思い出した。痛みも同じだったような気がする。
父が腹を揉んだり擦ったりしてくれたが治まらず、真夜中に自転車の荷台に乗せられて町医者まで連れていかれた。眠りから起こされた医者も、大いに迷惑したことだろう。
腹部に冷たい聴診器を当てられたころには、ぼくの腹痛はすでに治まっていたのだった。
眠りを裂いて突然おそってきた、あの腹痛はなんだったのだろうか。ぼくが父親だったら、夜中に自転車を走らせたりしただろうか。たぶん、朝まで我慢しろと言ったにちがいない。

  


Posted by 万に一つ at 12:11Comments(0)

2016年03月05日

良い素材を使い美味


私は料理が好きだ。作るのも食べるのも見るのも好きだ。料理に関する本や番組であれば、はてしなく見ることが出来るだろう。料理雑誌をパラパラとめくっていると、近年では料理に国境がなくなりつつあるのを感じる天然貓糧牌子。日本でも「アメリカ的」なレストランが増えているように、こちらでも和素材を使った料理や、それを出すレストランが増えている。しかし、同じ名前を持つ料理でも土地が変わると、やはりその土地の文化の色が現れ、アメリカの和食は和食になり切れず、そして日本のアメリカ食はアメリカ食になり切れていないように思うのだ。

日本人はとても真面目で律儀できちんとしていて、、、そう、だから料理も「きちんと」してしまう。人気のあるレストランがアメリカ料理を出していても、
良い素材を使い美味しそうで、とてつもなく綺麗なのに、なぜか「アメリカ」を感じない。あと一歩のダイナミックさ、少し崩れるような盛り付け方、全てが均一でない様子はやはりアメリカ人にしか出来ないのかもしれない。雑であることが完全な形なのだ。昔ながらの、ママが作ってくれたような薄切り食パンに卵サンドは別の話だが、簡単なサンドウィッチにしても、アメリカンなサンドウィッチはやはりアメリカのものの方が美味しそうに見え、日本ではサンドウィッチは食べたいと思わなくなってしまった。

同じようにアメリカの和食は日本人シェフが作らない限りは、全く日本的ではない。定評のある料理雑誌が和素材を取り上げることが多くなった今日で、そのレシピを写真と共に紹介していても、どれも「これは日本人が作ったのではない」とすぐに分かるのは、ここ一歩というところで「きちんとさ」に欠けているからだろう。それに絶対にありえない食の組み合わせもある。それが目からうろこで商務中心、は!と思わせてくれることもあるが、でもやはり、その斬新な和食は「和食」では無いのだ。

アメリカに長く住むようになり、日本の文化から遠のいている私自身の中身が、どっちつかずだなと思うことも最近良くあるのだが、その自身同様に、料理もいわばどっちつかずかもしれない。だから他の人が作ったもののことはとやかく言えないのは分かっている。でもそのどっちつかずの中でも、アメリカで生活し良かったと思うのは、アメリカ的な料理の盛り付けや素材の使い方を少しでも肌で学べ「きちんとしていない」ことも魅力なんだと学べたことだろう。
  


Posted by 万に一つ at 12:56Comments(0)