2016年08月11日
教皇アレクサンデル
すなわち、「一月の川」となるという。
1501年の1月に、たどりついたポルトガルの航海士がリオの入り江を発見した。
ただ、これを川と誤認し、上記の名が生まれたという。
あとで、入り江だと認識した時に名前を変えても良さそうなものだが、
そこはラテン人、そんなところに拘泥(こうでい)はない。
1555年から入植をはじめ、瞬く間にブラジル一の大都会となっていった。
今、探ってみると南米のほとんどは、スペイン語圏。
その中でポルトガル語圏であるのはブラジルだけ。
これは、1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約である
トルデシリャス条約による影響。
この条約は、西経46度37分より東の新大陸発見は、ポルトガルのもの。
西側は、スペインのものという取り決め。
そのお陰でブラジルだけがポルトガル領となった。
6世の承認のもとに決められたものだから、
国家として受け入れなけばならない。その辺は、素直。
また、逆に東側は、サラゴサ条約で東経143度で分つことになる。
その場所は、日本をまっ二つにしてしまうところ。
そういえば、1543年に種子島にポルトガル人が鉄砲をもたらすとあるが、
その後、ポルトガル人は日本から手を引き、
スペインが深入りしていくのも、この条約のためと言われている。
南米でもスペインの影響を受けた地域とポルトガルの影響を受けたブラジル。
同じラテン系でもちょっと違う。
ついでだが、ブラジルの国名は、
赤色染料のブラジルスホウの木が群生していたところから来ている。
ブラジルの地を踏んだポルトガル人は、
炎々たる赤色のブラジルスホウの木を見て"Brazil"と言ったそうだ。
「赤熱した」というポルトガル語の"Brassa"から来ている言葉。
「赤」は「情熱の色」。
"Brazil"には、その二つが重なるイメージがある。
「応援」「自己主張」やはり何から何まで熱い。
情熱の国、というところだろうか...
Posted by 万に一つ at 17:30│Comments(0)